2011年06月10日
籠城というイメージが私たちを興奮させるのは、私たちが砦や城を「自我」
の比喩として捉えているからではなかろうか。
つまり、外敵に囲まれた砦に立て籠るというイメージは私たちに、さまざま
な不安や恐怖や非難から必死におのれを守っている自我を連想させるのでは
なかろうか。したがって砦の陥落、落城、玉砕は、自我の崩壊を連想させる
。そしてこの自我の崩壊こそ、私たちがこの世で一番恐れていることではな
いか。
S氏
今日の私(ko-ね)がこうなるきっかけと言うか、根底にある原因として
一番にしっくりくるのが上記にあります言葉です。そう、自我の問題です。
分かりやすく言えば、キャラの崩壊でしょうか。
自我についてはこれまたややこしい解説がありますが、そういったものは
この際気にせず話を進めます。
会社での自分
自宅での自分
それぞれの役を演じてきました。
どれが本当の自分か?
答えは簡単ですね。 全部自分なのですね。
これが崩壊するわけですよ。
あることをきっかけにして、また長ーい時間を掛けてでもです。
すると自分を無くすことになりますね。
自己喪失です。
そう、そうこの状態です。
そうするとどうなるか?
今の自分の状態が理解出来てくるのですね。
もう一度、キャラ作りすることってできるんでしょうか?
環境を変えずにですね。
ここが、回復の鍵となりそうです。
どうすればいいんだろう?
ありのままの自分で・・・・とよく言いますね。
それって、どれ?って自分でも思いませんか?
だから分かんないんですね。
防衛機制(抑圧)もせず、迎合もしない。
それで居て他人と心を交わすこと。
慣れてないなーって感じです。
育ち方間違ってたんでしょうね。
だって自我が形成される前は自分ではなく、
周囲の環境、特に家庭、親の影響ですから。
それをこの歳になって自助努力で修正するのです。
可能なのか?
すこしづづの努力はしております


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